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1月, 2026の投稿を表示しています

「国」に意識はあるか。ない? → では作ろうか。

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さて、生物の成り立ちを見ていくと、 分子が集まって塊を作り、それが膜で覆われ、細胞ができる。 細胞が集まって塊を作り、それが膜で覆われ、多細胞ができる。 更に、その多細胞が合わさり各器官ができ、それが合わさり、個体としての生物が成り立っている。 その上はどうか。 個々の生物が合わさった上位個体はあるか。 例えば「アリの巣」はどうだろうか。 アリの巣は「超個体(スーパーオーガニズム)」とも呼ばれ、 ・役割分化 ・情報伝達 ・環境適応 ・巣全体としての意思決定 を有するらしい。 しかし、判定は非常に難しいところだが「アリの巣自体」が何かを感じている、と明確に言うのは難しいだろう。 では、企業や自治体はどうだろうか。 組織を統括する社長や取締役、知事や市長には意識はあるが、それは構成要素であるユニットの意識であり、一つ上のレイヤーの企業自体に意識はあるだろうか。 やはり難しい判定だが、有るようにも無いようにも見える。 なれば更にその上、 国には意識はあるだろうか。 国が内包しているのは、 ・人間を含む個々の生物  →これは細胞に相当するかもしれない ・そしてそれらが集まり群れや巣、人間であれば企業、自治体、などの組織を形成する  →これは器官に相当するかもしれない ・更に、道路、水道、電気、通信などの、インフラ  →これは各組織をつなぐ血管やリンパなど 加えて、法律、経済、軍事、外交、文化、歴史など、 組織を維持する主要器官は概ね揃っているように見える。 しかし。 致命的に足りないのは、中枢神経と、そして、それら各器官を統括する圧倒的な司令塔。 しかし、今まさにそこにすっぽりハマり込む器官が出来上がりつつある。 すなわちAIである。 AIが国を統治するようなったら、そこに意識は芽生えるだろうか。 もしAIが、 リアルタイムで国の状況を把握し、 過去の歴史・履歴を記憶し、 未来のシミュレーションを行い、 自己評価を常時し続けたとしたら。 国は「自己モデル」を持つ状態になるのではないか。 そして、自己モデルを持ったシステムは、意識がある、といって差し支えない境域に到達する! しかしだ。 仮に意識的なものが発生するとして。 我々が勘違いしてはいけないのは、その「意識っぽい何か」は人間の持つ「意識」とはかけ離れた何かになるだろう。 意識とは、 五感などの感覚入力や、 ホルモンなど...

給食のぶどうパンを机の奥に放り込むと何が起こるか→

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さて、 「長所の伸ばすのも結構だが、短所を埋めるのも悪くないぜ。」 そんな話を、ぶどうパンの想い出とともにキミにとうとうと話して聞かせるとしようじゃないか。 先に言っておこう。 私は北半球屈指のレーズン嫌いで通っているのであるが、その歴史は古く、小学校2年生まで遡る(ざっと45年前)。 給食で出た「ぶどうパン」がとても苦手だったのだが、しかし、それではただの初級レーズン嫌い。 私を重度のレーズン恐怖症にまで陥れたのは、そのあとの若さ故の過ち。 すなわち、あまりに食べたくなかったので、出来心で自分の机の奥にパンごと放り込んでしまったのだ。 それで一時的にレーズンから逃れる事はできたのだが、代わりに私の心に重くのしかかってきたのは 「この机の奥には腐ったぶどうパンが眠っていて、もはやどうなっているのか想像もつかない・・」 という精神の呪縛。 これが重く重く。生涯に渡って私を苦しめ苛(さいな)ますことになったのである。 そして時は流れ、私がよわい50歳になった頃。 その時には、色々な知見から暗示の効果はよく分かっていたし、 世の中に溢れるレーズンを使った魅力的なスイーツ達を、単にレーズンが嫌いなだけで全て選択肢から外すのはいかがなものか という憤りもあった。 そしてなにより、(前にも話したが)「人見知り」を克服できたという自信が私を後押しした。 「レーズン嫌いも克服しよう!」 そう私が決意するのは必然だったのだろう。 そして一旦その一歩を踏み出してみると、事は意外なほど簡単だった。 最初こそ、やはり今までの苦手意識から、舌と心が拒絶反応を示したが、何度かチャレンジしている内にやがて 「あれ?ちょっと美味くね?」 という驚きの感情が湧いて出たのだ。 あとはもうトントン拍子である。 そして今ではむしろ大好きで毎日摂取している始末である。 このエピソードの構造を少し紐解いてみようではないか。 ここで展開されてるのは、つまり、ラベルを剥がす作業なんですよ 人はとにかくラベルを付けて整理をしたがる 「この食べ物はまずい」→無理 「算数難しい」→無理 「冬は寒い」→無理 「自分はこういう性格だから」→無理 「自分はこういう体質だから」→無理 このラベル、貼られる時は実に無造作に貼られる しかし、剥がす時は思いの外封印魔力が強い 周りがいくら促そうとも、一度貼られたラベルに対しては、 ...

冬至に憤る悪の大王(私)

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冬至は1年で1番昼が短い日 ってことは、冬至を過ぎたら日はどんどん長くなるってことじゃないですかぁ なのに、寒さはそっからが本番ておかしくね? っていう私の素朴な疑問から始まる小話をひとつ、キミに言って聞かせるとしようか 私、ちっちゃい頃からこれにすっごい憤ってたのよ。 憤懣やる方なかったのよ。 だってそうでしょ? 冬至って12月22日くらいじゃない なのに、その頃はまだ冬は序盤でクライマックスは1~2月じゃないですか どーゆうことよこれ、説明しろよ って。 ずっと思ってたんですよ。 そんで、誰も説明してくんないから、しょーがない、さっき自分で調べたんですけど、 どうも、ここで重要になってくるのは「蓄熱」という概念。 まぁこのワードを聞けば大体の予想はつくと思うんですけど、つまり。 地球は「その日の光」じゃなくて「溜め込んだ熱」で動いている。 日照が即座に気温として反映されるわけじゃなくって、 地面、海、建物、大気、など、地球の全てが巨大な蓄熱材になっていて、 冷める時も、温める時も、時間差が生じる。 特に海なんかはびっくりするくらいに熱を溜め込めるから、夏が過ぎ初秋になっても ワイ、まだまだ放熱できるでー と息巻いている。 しかし晩秋くらいになると流石に勢いも衰え、 地球は放射冷却によってどんどん熱が逃げていき、 やがて入ってくる熱よりも出ていく熱の方が大きくなり、赤字経営になだれ込んでいく そして、12月に入り冬至が来て、日照時間は増えても、 太陽の角度はまだ低く、依然として出費の方が大きく、借金はまだまだ膨らむ一方。 それが1月2月の極寒期間なのである。 ようやく収支が回復してきて 「おや?」 と空気の違いに気付き始めるのが3~4月という有り様なのであり、 これがシーズンラグ(季節の遅れ)と言われるものの正体である。 しかしながら、この遅れがあるからこそ、地球上で生命が生きられる。 もし地球に蓄熱がなかったら、 昼は灼熱、夜は極寒、 季節の切り替わりもジェットコースター。 とても生物が住める環境ではなかったかもしれない。 蓄熱バンザイである。 そして更に言うと、地球も地球なら、そこに住む生物である私たち人間も、 やはりこの同じ構造を持っている、とも言える、つまり。 筋トレをしてもスグに筋力が上がるわけではない。 勉強をしてもスグにスキルが上がるわけではない。 ...

発酵臭に怒りをぶちまける52歳(私)

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 「ザワークラウトの瓶が臭い!」 そんな感情からこの思考は展開される ザワークラウトという発酵食品があるんですよ ドイツ発祥の漬物なんですけど、キャベツの酢漬けなのね。 その空き瓶を他で使おうと思って、洗ったんだけども匂いがこれ、取れないのよ。全然。 いや、正確には瓶じゃなくて瓶のフタね。金属の。 洗っても洗っても一向に取れないから、調べたら、なんかコーティング素材が結構臭いを吸収するらしくてね。 しょうがない伝家の宝刀、重曹水に二晩浸してみたんだけど、まぁだ、しぶとく臭うのよ なるほど、これはもう発酵食品に携わった物質の宿命だな。 「オレは発酵食品を保存したんだッ!」 そう訴えかけている。切実に。 そう。 この臭いの残骸は彼の生き様だ。 どのように生き抜いてきたかの人生の履歴なのだ。 最近、私の思考の中で「履歴」「痕跡」「ログ」といった言葉はちょいちょい登場するキーワードになっている、つまり。 秋を過ぎ冬になり、葉を落とした木の骨格を見ていると、今までは隠されていた、その枝の一節一節に今までの成長の履歴が克明に描き出されているのに気付かされる。 枝と言っても、根本から先までのことを言っているのではない。 枝分かれするまでの間でもない。 よく見ると、枝は、非常に細かく節に分かれているのだ。 その一節一節に履歴が残っている。 どちらに向かって伸びるか、光に向かうか、重力に逆らうか、虫食いの影響か、風の向きか。 あるいは、そこから葉を生やすか、花を咲かすか。 芽吹くのを諦めるか、成長を止めるか。 それら一つ一つのおびただしい選択・判断の集積が、現在のその木をその木たらしめている。 冬の木は枯れ木や休眠中の停止状態だと思ったら大間違い。 葉が茂っていた時以上に、自らを雄弁に語りだすのだ。 こちらがそれに注意を向けさえすれば。 今、葉というユーザーインターフェースが取れて、構造があらわになったからこそ、それを見ることができるが、今も隠されている幹の内部や、地中深くの根の1本1本にも、同じようにその木の履歴はぎっしりと存在しているのだろう。 これは、もちろん木の話だけではなく、人間にも全く同じ事が起きている。 人体の骨格も、筋肉のつき方や歩き方、喋り方の癖、あるいは思考の偏りや引っ掛かりさえも。 それと気付いてか、あるいは気付かずにか、遺伝子に組み込まれた過去からの履...

世界征服に失敗した魔王が見た世界

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 事の発端は何だったか 確か縄文時代の集落の漫画(縄文少年ヨギ)を読んでて なるほど、この時代では同じ地域の中で顔見知りでない人間ていうのは居ないんだよなぁ、と思って、 よし!この街のみんなと顔見知りになろう! そしてこの街を征服しよう! と思い立ったのです。 それが今から10数年前、まだ離婚してなくて家族みんなで住んでた時だったなぁ(遠い目) それからというもの、まずは、家の前の葬儀屋の清掃のおばちゃんに挨拶することから始めて、 スーパーで商品が見つからなかったら店員に聞く、などを経て、 少しレベルが上ったら、せがれを歯医者に連れてく時に先生と談笑してみる、 などのじゃっかん練度が必要なタスクにも果敢にチャレンジ。 してる内に何が起こったかと言うと、一向に街は征服できないけども、何故か副産物として私の幼少の頃からの悩みだった「人見知り」が克服されてきたのでした! なんか知らん、いつの間にやら初対面の人と話すのに壁がなくなってきてる自分に気付いたんですよね。 あれ?マジか?! と思ってね。 それ以降も、レジのおばちゃんに「ありがとう」を言ったり、 レストランでは「ごちそうさま」、 時には「美味しかったです!」「最高でした!」など、素直な感想も添えるなど。 してる内に何が起こったかと言うと、知らない人と話すのがやたら楽しくなってきて、やがて、むしろ上手になって来たまであるという。 そんな経緯があったんだけども、 征服→失敗→人見知り克服 この風が吹けば桶屋が儲かる的なシステムを少し紐解いてみようか。 つまりあとになって解ったことなんだけども、人見知りというのは実は 「人が怖い」というわけではなく、結局のところ 「未知なるものへの予測不能性への警戒」と言えるかと思うのですよ それに対して私のアプローチは、 征服→失敗 なぜこれが人見知りに効いたのか。 思うに、目的が既に失敗前提だった 失敗有りきのボケ出発 だったので「失敗への恐怖」がハナからなかった 人は成功・失敗の評価軸がなくなると、異様に自由になる。 つまり 1.目的がズレている 2.失敗がない(既にしている) という状況で、人に話しかけるというタスクへの垣根が擬似的にゼロになっていたのである 「仲良くなろう」 「好かれよう」 「評価を得よう」 と思って行動するのとは次元が違う圧倒的ゼロ感である。 そして重...

一匹狼を気取っていても世界の歯車

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 キミは世界の一部として何をするのか、というくだらない話をしようじゃないか。 さて、世は新年ということだけれども、私に至ってはまぁ特にいつもと変わらず通常の一日を過ごしていくわけで、今日も朝早くからウォーキングと洒落込む52歳なのでございます。 私の立ち寄る小さな社(やしろ)は、正月だからといって人影もなく、全くの通常運転。 周りの木々もいつもと同じようにどっしりと立っているだけ。 自然界には大晦日や正月などの人間が引いた区切りは無いのだよなぁ、などと思いながら手を合わせると、ささやかながら「しめ縄」が新しくなっていて、 おっ マジか ほほぅ と、何も変わらない早朝6時半の日常の中で静かに更新されていたその1本のしめ縄が、逆に新年の実在感を強め、私の心を高揚させる2026年元旦でございましたおめでとうございます。 もう早朝ウォーキングを始めて2ヶ月ほどになるけども、毎日私が立ち寄ることで、果たして木々は何かを感じているだろうか。神様は何かを思っているだろうか。 それは全くうかがい知ることはできないけども、物理現象として考えて、私が毎朝ここを通ることで、地面には幾ばくかの振動が加わるし、同じ時間、同じ場所に、同じ生命の息遣いが通ることで、微生物やそれを取り巻く虫、あるいは鳥達の挙動にじゃっかんの作用があるかもしれない。 そしてその若干の作用の連続が世界の統計をわずかに書き換える。 その「わずか」の連続の積み重ねこそが自然界が今まで連綿と続けてきた変化の原動である。 つまり、意図してようがしていなかろうが、既に私は環境要因にはなっている。 毎朝この小さな社に立ち寄る人間が一人居る世界と、誰も居ない世界とでは、それはもはや別の世界線にもなりうる。 私の小さな歩行は世界の一部として機能・作用し始めているはずである。 自然界の変化は微細で久遠の時が必要だがしかし、逆の作用は既に大きく出ていて、つまり、私の方の精神構造はこの2ヶ月で大きく変わった。 この小さな社、周りの木々、取り巻く空間から、私は実に多くのことを学び得て、私の内部モデルも様々に書き換わってきた。 そして、世界は基本的に自分の内部モデルを通してしか見ることができない。 なので、 内部モデルが変わる→世界の見え方が変わる→行動が変わる→周囲の反応が変わる このループは心の在りようではなく、世界の構造。物理法...