一匹狼を気取っていても世界の歯車

 キミは世界の一部として何をするのか、というくだらない話をしようじゃないか。


さて、世は新年ということだけれども、私に至ってはまぁ特にいつもと変わらず通常の一日を過ごしていくわけで、今日も朝早くからウォーキングと洒落込む52歳なのでございます。

私の立ち寄る小さな社(やしろ)は、正月だからといって人影もなく、全くの通常運転。

周りの木々もいつもと同じようにどっしりと立っているだけ。

自然界には大晦日や正月などの人間が引いた区切りは無いのだよなぁ、などと思いながら手を合わせると、ささやかながら「しめ縄」が新しくなっていて、

おっ マジか ほほぅ

と、何も変わらない早朝6時半の日常の中で静かに更新されていたその1本のしめ縄が、逆に新年の実在感を強め、私の心を高揚させる2026年元旦でございましたおめでとうございます。


もう早朝ウォーキングを始めて2ヶ月ほどになるけども、毎日私が立ち寄ることで、果たして木々は何かを感じているだろうか。神様は何かを思っているだろうか。

それは全くうかがい知ることはできないけども、物理現象として考えて、私が毎朝ここを通ることで、地面には幾ばくかの振動が加わるし、同じ時間、同じ場所に、同じ生命の息遣いが通ることで、微生物やそれを取り巻く虫、あるいは鳥達の挙動にじゃっかんの作用があるかもしれない。

そしてその若干の作用の連続が世界の統計をわずかに書き換える。

その「わずか」の連続の積み重ねこそが自然界が今まで連綿と続けてきた変化の原動である。

つまり、意図してようがしていなかろうが、既に私は環境要因にはなっている。

毎朝この小さな社に立ち寄る人間が一人居る世界と、誰も居ない世界とでは、それはもはや別の世界線にもなりうる。

私の小さな歩行は世界の一部として機能・作用し始めているはずである。


自然界の変化は微細で久遠の時が必要だがしかし、逆の作用は既に大きく出ていて、つまり、私の方の精神構造はこの2ヶ月で大きく変わった。

この小さな社、周りの木々、取り巻く空間から、私は実に多くのことを学び得て、私の内部モデルも様々に書き換わってきた。

そして、世界は基本的に自分の内部モデルを通してしか見ることができない。

なので、

内部モデルが変わる→世界の見え方が変わる→行動が変わる→周囲の反応が変わる

このループは心の在りようではなく、世界の構造。物理法則なのだ。

私がどのような精神構造で世界を見るのか。

それは既に環境要因となり、世界に作用し始める。

さて、2026年。あなたはどのような内部モデルで世界を見るのか。

望む望まないに関わらず、あなたは既に環境要因。

世界の一部としてのあなたは、世界に対してどんな精神構造で何を投げかけるか。

その答えは、あなたに降り掛かってくる世界が証明してくれる。




コメント

このブログの人気の投稿

世界征服に失敗した魔王が見た世界

給食のぶどうパンを机の奥に放り込むと何が起こるか→