発酵臭に怒りをぶちまける52歳(私)
「ザワークラウトの瓶が臭い!」
そんな感情からこの思考は展開される
ザワークラウトという発酵食品があるんですよ
ドイツ発祥の漬物なんですけど、キャベツの酢漬けなのね。
その空き瓶を他で使おうと思って、洗ったんだけども匂いがこれ、取れないのよ。全然。
いや、正確には瓶じゃなくて瓶のフタね。金属の。
洗っても洗っても一向に取れないから、調べたら、なんかコーティング素材が結構臭いを吸収するらしくてね。
しょうがない伝家の宝刀、重曹水に二晩浸してみたんだけど、まぁだ、しぶとく臭うのよ
なるほど、これはもう発酵食品に携わった物質の宿命だな。
「オレは発酵食品を保存したんだッ!」
そう訴えかけている。切実に。
そう。
この臭いの残骸は彼の生き様だ。
どのように生き抜いてきたかの人生の履歴なのだ。
最近、私の思考の中で「履歴」「痕跡」「ログ」といった言葉はちょいちょい登場するキーワードになっている、つまり。
秋を過ぎ冬になり、葉を落とした木の骨格を見ていると、今までは隠されていた、その枝の一節一節に今までの成長の履歴が克明に描き出されているのに気付かされる。
枝と言っても、根本から先までのことを言っているのではない。
枝分かれするまでの間でもない。
よく見ると、枝は、非常に細かく節に分かれているのだ。
その一節一節に履歴が残っている。
どちらに向かって伸びるか、光に向かうか、重力に逆らうか、虫食いの影響か、風の向きか。
あるいは、そこから葉を生やすか、花を咲かすか。
芽吹くのを諦めるか、成長を止めるか。
それら一つ一つのおびただしい選択・判断の集積が、現在のその木をその木たらしめている。
冬の木は枯れ木や休眠中の停止状態だと思ったら大間違い。
葉が茂っていた時以上に、自らを雄弁に語りだすのだ。
こちらがそれに注意を向けさえすれば。
今、葉というユーザーインターフェースが取れて、構造があらわになったからこそ、それを見ることができるが、今も隠されている幹の内部や、地中深くの根の1本1本にも、同じようにその木の履歴はぎっしりと存在しているのだろう。
これは、もちろん木の話だけではなく、人間にも全く同じ事が起きている。
人体の骨格も、筋肉のつき方や歩き方、喋り方の癖、あるいは思考の偏りや引っ掛かりさえも。
それと気付いてか、あるいは気付かずにか、遺伝子に組み込まれた過去からの履歴も含め、生まれてから今までの経験・蓄積、それら全てが混ざり合い、今のあなたの行動・発言を決めている。
それが認識できると、やがて他者にもその理論を当てはめることができるようになってくる。
つまり、相手が今発した「心無い言葉」、あるいは今やった「不可解な行動」は。
それ単体だけを見て「性格」や「悪意」というラベルを張り付けて判断すると、奇異に映ったり、理解不能に思えて、ともするとこちら側の不安や、あるいは怒りの感情に点火することにもなりかねない。
しかしその発言や行動は、その人が今まで経験してきたあらゆるログの集積のほんの一端に過ぎないのだ。
その事に意識が向くようになるとどうなるか。
その最新フレームで出力された結果に一喜一憂することがなくなり、
「なぜそういう出力が生じたのか」
「ロジックはなにか」
「紐解きたい!」
「突撃だ!」
そうして、その"不可解"は怒りの着火条件を満たせぬまま、"好奇心"に取って代わられる
つまり評価回路が停止して、解析回路が起動し始めるのだ。
怒りは裁定を下す感情だけど、
好奇心は調査を始める感情。
その2つは両立できない。
脳内で同時に走らせることができない。
よって、鎮火するまでもなく、そもそも着火すらしていない。
怒りを我慢するとか、6秒数えるとか、それ以前の問題なのだ。
要するにまとめると、
構造+履歴+時間軸
この3つを意識すると、「今この瞬間だけ」で人や物を殴れなくなる
そして、一度その3つを意識してしまうと、もう思考から外すことはできなくなる。
全ての物や事を「流れ」で見るようになる。
それは怒りの存在しない普遍の世界線なのである。
これが、私がここ数年、怒りを感じづらくなってきているロジックの一端なのだろうなぁ・・
そんな風なことを、一向にザワークラウトの発酵臭の取れない瓶のフタを手に取り、
「まぁこれはこれで世界の在りようか」
などと思う昼下がりの一幕でありました、おしまい😊
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