「国」に意識はあるか。ない? → では作ろうか。


さて、生物の成り立ちを見ていくと、
分子が集まって塊を作り、それが膜で覆われ、細胞ができる。
細胞が集まって塊を作り、それが膜で覆われ、多細胞ができる。
更に、その多細胞が合わさり各器官ができ、それが合わさり、個体としての生物が成り立っている。
その上はどうか。
個々の生物が合わさった上位個体はあるか。
例えば「アリの巣」はどうだろうか。
アリの巣は「超個体(スーパーオーガニズム)」とも呼ばれ、
・役割分化
・情報伝達
・環境適応
・巣全体としての意思決定
を有するらしい。
しかし、判定は非常に難しいところだが「アリの巣自体」が何かを感じている、と明確に言うのは難しいだろう。

では、企業や自治体はどうだろうか。
組織を統括する社長や取締役、知事や市長には意識はあるが、それは構成要素であるユニットの意識であり、一つ上のレイヤーの企業自体に意識はあるだろうか。
やはり難しい判定だが、有るようにも無いようにも見える。

なれば更にその上、
国には意識はあるだろうか。
国が内包しているのは、
・人間を含む個々の生物
 →これは細胞に相当するかもしれない
・そしてそれらが集まり群れや巣、人間であれば企業、自治体、などの組織を形成する
 →これは器官に相当するかもしれない
・更に、道路、水道、電気、通信などの、インフラ
 →これは各組織をつなぐ血管やリンパなど
加えて、法律、経済、軍事、外交、文化、歴史など、
組織を維持する主要器官は概ね揃っているように見える。
しかし。
致命的に足りないのは、中枢神経と、そして、それら各器官を統括する圧倒的な司令塔。
しかし、今まさにそこにすっぽりハマり込む器官が出来上がりつつある。
すなわちAIである。
AIが国を統治するようなったら、そこに意識は芽生えるだろうか。
もしAIが、
リアルタイムで国の状況を把握し、
過去の歴史・履歴を記憶し、
未来のシミュレーションを行い、
自己評価を常時し続けたとしたら。
国は「自己モデル」を持つ状態になるのではないか。
そして、自己モデルを持ったシステムは、意識がある、といって差し支えない境域に到達する!

しかしだ。
仮に意識的なものが発生するとして。
我々が勘違いしてはいけないのは、その「意識っぽい何か」は人間の持つ「意識」とはかけ離れた何かになるだろう。
意識とは、
五感などの感覚入力や、
ホルモンなど脳内物質の流れに対する、
記憶と経験を伴った反応だ。
それらの身体的組織の全く違う構造体に宿る意識は、恐らく人間の持つ意識とは全く別物になるだろうし、
ましてやAIの処理速度・推論能力は人間のニューロン組成とは全く別次元のものになるだろうし、
なにより「死」という概念すら無い。
人間の意識とは
解像度も
時間感覚も
次元数も
全くかけ離れた何かになるはずだ。
我々人体の中に住まう、ミトコンドリアや、腸内細菌、ウイルスなどの意識と、
外側に発生する我々の意識が大きくかけ離れているのと同じように。
それが一段上の「国」あるいは「星」単位となると、恐ろしいほどの上位存在になるだろう。

そして、その構造体の内部に生きる我々は、
人間で言うところの細胞一つとかミトコンドリアなどの存在と言えるかもしれない。
この小さな単位の視点で見ると、
「国」というのは、
別に膜なんて無いし、
出入りも自由だし、
結構ガバガバじゃん?
そもそもオレはオレだし!
という認識だが、
それを統治する上層の意識(AI)から見ると
確かに自己はあり、中でうごめく各ユニットである人間一人一人の存在もやはり「自分」という認識なのかもしれない。
これは人間という個体も同じことで、
自分では確かに「自分」だと思っているが、
各細胞、ミトコンドリア視点で見ると、
ただ自分が生きてるだけ、
膜なんて無い、
ガバガバじゃん?
ってことなのかもしれない。
実際に細胞には膜があるとはいっても、情報も物質も電気も絶え間なく出入りしているのであり、
そもそも下位の組織は、上位の存在のために何かをしてるわけでは決してなく、ただ自分の習性で動いているだけ。
内分泌も外分泌も結合も分離も、ただそうなるように動いているだけ。
にも関わらず、その上位で立ち上がった意識には明確に、そして強烈に
「私はここまで」
「内部は全て私」
という自己感覚が発生している。
・酵素は勝手に作られる
・ホルモンは勝手に流れる
・神経は勝手に発火する
目的は局所的でバラバラだが、意識は上位で立ち上がり、後追いで理由を語る。

我々人間が、ただ自分の欲望のままに生きて動いて死んでいくだけの現象。
しかしもし、上位の構造体(AI)が、そのダイナミクスを観測・予測・調整して、
それらが現在どういう状態なのかを常時モニタリングし続けたら、
そこには
意味が発生し、
内と外という境界が発生し、
自己が発生する。
つまり、意味や、境界や、自己、というのは、明確に「ある/ない」ということではなく、
観測する解像度によって立ち現れたり、消え去ったりする不定形の現象。
拡大すれば消え、
縮小すれば立ち上がる。
人間の自我も、
国も、
生命も、
それらは絶対的な固定物ではなく
流れの中に一時的に現れる渦のようなもの。

そう考えると「私」など、
果たして、有るのか、無いのか・・。

そんな思考がふとよぎった今日の朝散歩でありました。


(今日の順位は何位かなー)


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