給食のぶどうパンを机の奥に放り込むと何が起こるか→

さて、
「長所の伸ばすのも結構だが、短所を埋めるのも悪くないぜ。」
そんな話を、ぶどうパンの想い出とともにキミにとうとうと話して聞かせるとしようじゃないか。



先に言っておこう。
私は北半球屈指のレーズン嫌いで通っているのであるが、その歴史は古く、小学校2年生まで遡る(ざっと45年前)。
給食で出た「ぶどうパン」がとても苦手だったのだが、しかし、それではただの初級レーズン嫌い。
私を重度のレーズン恐怖症にまで陥れたのは、そのあとの若さ故の過ち。
すなわち、あまりに食べたくなかったので、出来心で自分の机の奥にパンごと放り込んでしまったのだ。
それで一時的にレーズンから逃れる事はできたのだが、代わりに私の心に重くのしかかってきたのは
「この机の奥には腐ったぶどうパンが眠っていて、もはやどうなっているのか想像もつかない・・」
という精神の呪縛。
これが重く重く。生涯に渡って私を苦しめ苛(さいな)ますことになったのである。
そして時は流れ、私がよわい50歳になった頃。
その時には、色々な知見から暗示の効果はよく分かっていたし、
世の中に溢れるレーズンを使った魅力的なスイーツ達を、単にレーズンが嫌いなだけで全て選択肢から外すのはいかがなものか
という憤りもあった。
そしてなにより、(前にも話したが)「人見知り」を克服できたという自信が私を後押しした。

「レーズン嫌いも克服しよう!」

そう私が決意するのは必然だったのだろう。
そして一旦その一歩を踏み出してみると、事は意外なほど簡単だった。
最初こそ、やはり今までの苦手意識から、舌と心が拒絶反応を示したが、何度かチャレンジしている内にやがて
「あれ?ちょっと美味くね?」
という驚きの感情が湧いて出たのだ。
あとはもうトントン拍子である。
そして今ではむしろ大好きで毎日摂取している始末である。

このエピソードの構造を少し紐解いてみようではないか。
ここで展開されてるのは、つまり、ラベルを剥がす作業なんですよ
人はとにかくラベルを付けて整理をしたがる
「この食べ物はまずい」→無理
「算数難しい」→無理
「冬は寒い」→無理
「自分はこういう性格だから」→無理
「自分はこういう体質だから」→無理
このラベル、貼られる時は実に無造作に貼られる
しかし、剥がす時は思いの外封印魔力が強い
周りがいくら促そうとも、一度貼られたラベルに対しては、
「いや、無理だからッ」
「もう体質で無理なのッ!」
と、思考停止で逆ギレする始末である。
私がそうだった。
しかし、生まれつき、遺伝で、性格で、そういうものだと思っていた「人見知り」が改善された。
この事実は私の中で何かを弾けさせた。
「人見知り」というのは私の中でガチのマジで根本の根本だったのだ。
無理とか、無理じゃないとか、考えもしなかった。
それ以前の規定概念だったのだ。
思考停止どころではなく、思考そのものが立ち上がってさえいなかった。
そのくらい、当たり前のように共存してきたものが、あっさり手のひらを返したのだ。

「ラベルは剥がれる」

多くの人間はその事に気付いていない。私がそうであったように。
そもそもこのラベル機能はなんのために搭載させているのか。
それは脳の省エネ機構に由来する。
瞬間瞬間膨大に入ってくる情報を処理するために、脳は効率的なショートカットを作り出す。
これは苦手・・
これは無理・・
しかし、幼い頃の偶然や、一度だけの不運などで安易に付けられたそのラベルも、時が立つに連れ心の中で効力を増し、決して解けない聖なる封印として魂の阿頼耶識(あらやしき)に鎮座することになる。
省エネ機構のつもりが、いつの間にか可能性にフタをする板になってしまうのだ。
数学が苦手というラベルを貼れば、以後、数学の世界を人生から外してしまう。
英語が苦手ならば日本語以外全てを無きものにする。
話下手なら人付き合いを極限まで削り、仕事を探す時も対人職は決して目に入らないだろう。
もしかしたら、ほんの少しリソースを割くだけでできたかもしれない可能性を、そのラベル達は問答無用でゼロにしてしまうのだ。
確かに省エネという役割は重要であり、また、一定の効力があるのは認めないわけには行かないので、それを悪と断じることはしないが、しかし、確かに不要なラベルはあっただろうし、今はもう役目を終えたラベルもまた存在するだろう。
それらのラベルは剥がしても良いのではないか。
いや、敢えて言おう。
「剥がすべきである」と。なぜなら。
私に付いていた「人見知り」というラベルが剥がれた時のあの開放感!
まさに魔法を得たかのようなミラクルを感じたのだ。
そして、レーズンを克服した時に感じた、万能感!
もはや不可能はなのではないかと思えるほどの全能感を味わった。
それ以後、私はラベル剥がしが楽しくなり、自分の貼り付けたラベルを次々に剥がしていく事になる。
姿勢を矯正して、猫背猫背と言われ続けた人生に終止符を打ち。
体が硬いという自己イメージを壊し、今ではむしろ柔らかい部類に入るだろう。
そして、寒がりという体質改善に取り組み、早朝ウォーキングを敢行。
幾つか記事に書いてきた通り、今では寒さが楽しくてしょうがない。
次はなんの扉を開こうか。
微分積分も面白かろう!
語学もマスターしたい!
私はなんだってできる!
どこへだって行ける!
そう、ラベルは一度剥がし方を覚えてしまうと、次々に剥がせるようになるのだ。
幼い頃は能力も知識もなくて不可能だったことも、大人になった今であれば、案外簡単に解決できることもあるだろうし、今はYouTubeやAIなどで克服法は幾らでも出てくる時代。
それらを駆使すれば、思った以上に解決が容易なことがキミにもきっと解かるだろう。
若い頃は、一点集中で長所を伸ばすのももちろん悪くないが、
一定の年令になったら、長年のコンプレックスがなくなっていくという、無敵の翼を手に入れたような経験を逃す手はむしろないのではないか。
キミの人生の第二幕は心に張り付いた封印ラベルの下にあるッ!





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