『2ch時代の祭りは人情とユーモアがあった』は回顧主義か
冷静に見てどうなのだろうか
いや、もちろん、2chも相当クソだったよ?
便所の落書きとも言われてたし、
犯罪の温床とも言われてたし、
実際、そのほとんどはクソスレだったわけだし。
でも、なんか記憶に残ってる祭りって言うと楽しいのばっかなんだよね。
田代砲のやつとかさぁ
ポケモンの投票で小学生泣かそうぜとかさぁ
日本鬼子の概念、上書きしようぜとかさぁ
あーゆうなんか、どーでもいいことに全力で当たってノリと勢いでバカ笑いするみたいな文化
確かにあったじゃない?
中盤以降は釣りとか創作もかなり出てきたから、なんとも言えないけど、
小学校作ったりとか、良い話も結構あったじゃない。
私がそーゆうのばっか見てただけかもわからんけど、
でも、そーゆうのが表に出てきてたから目についた、
というのも確かにあって、
今、この令和の世に当たって、私の目にそーゆうのが届いてないのよ。
どっかにはあるのかもしれないけど、少なくとも届いてない。
届いているのは、あれはけしからん、とか、あいつはゆるせん、とか、
そんなんばっか。
つまりこれはさぁ
ひとつには評価のアルゴリズムに寄るところがかなり大きいのではないか。
要するに人間のネガティビティバイアスのために、
楽しい、面白い、よりも、
怒り、不満、ねたみ、などの投稿に、
より目が行くことで、
そこにアクセスや評価が集まり、
アルゴリズムはその偏りを検知して、
更にネガティブなものに重み付けを加えて露出を増やす。
そのスパイラル。
これは、YouTubeをやってる時にまざまざと思い知ったけど、
やっぱ、ネガティブワードてんこ盛りで煽り散らかすようなサムネにすると、
再生数の伸びが如実に違うのよ。
あまりにも違うから、どうしてもそれに頼らざるを得なくなる。
そうすると、アルゴリズムに乗って、どんどん露出が増えていく。
今、世界のあらゆるところでこの現象が起きている。
笑いや優しさが、怒りと不安に覆い隠されていく。
ユーモアよりも強い言葉
文脈よりも勝ち筋
いいねやフォロワー数が可視化される世界では、
どうしてもそういうものが重要になってしまう。
そして、2chでよく槍玉に挙げられていた"匿名性"というのも、
実はいい面もあったのかもしれない。
今は実名ではないにしろ、アカウント性になり、発言は全てアカウントに紐づいている。
こういうシステムの中では、自分の安全性の確保により、
多数意見に回り、社会的な悪を攻撃する方向に傾きやすい。
構造としてそういうものが出来てきている。
それは1つの事実だろう。
しかし、それ自体は良いも悪いもなくて、
ただそういう環境が今出来ていて、その中で人間が最適化されていっている、
という現象に過ぎない。
平安時代には連歌を趣深く謡える人間が頭角を現したが、
戦国時代にはいくら蹴鞠が上手くても、簡単にぶっ殺されるわけですよ。
時代時代で環境が違い、その中で生きやすい遺伝子が力を振るう。
今は大アルゴリズム時代で、
その環境の中では、強い言葉を使う、相手を言い伏せる、問題を簡略化する、
そんな個体が優位に立ちやすい環境なのだろう。
その環境の是非を問うのは私の中ではナンセンスなのだが、しかし、
私の遺伝子としては、ちと生きにくい環境なのだ。
私は怒るのが苦手だし、
怒ってる人間が近くにいるのも苦手。
炎上とか見てられないし、レスバとかも脇汗が出てくる。
とにかく私はバカみたいに笑っていたいのよ。
ただただ楽しく在りたい。
しかしこの評価アルゴリズム社会においては完全に連歌を詠いながらぶっ殺されるタイプの個体なのよ。
長宗我部にぶっ殺されるタイプなのよ。
どーすればいいですかねこれホント。
そして次回!
「"大炎上連歌バトル社会"の形成」
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今日は何位かな

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