自然界と人間界の美の比率は同じ
早朝ウォーキングを始めて、 毎朝、街の小さな自然を眺めてて、ふと思ったんですよ。 あれ? 自然界と人間界で「すげー」と思う確率って、 そんな違わなくね? って。 いや、さすがにそんなことはないだろう、いくらなんでも。 とも思ったんだけど、 お、この花は可愛い。 こっちの花は枯れててじじむさい。 この木はなかなか立派だなぁ。 この木はバランス悪い。 対して この家はシャレてるね。 こっちの家は小汚い・・ この橋は味があるね。 いやいや、この看板はないわぁ。 これらの発生比率がなんか妙に似てるんですよ。 たまに良いのがある。 大体は目につかない。 たまに汚らしいのもある。 どういうことなのか。 人間が、意図して生み出す美も、 自然が、生きるための行動の結果生まれる美も、 実は同じパターンが内部に潜んでる? う~ん。 そんな馬鹿げたことはないだろうが、どうも気にかかる。 一応検証してみるか。 そう思い立ったわけです。さて・・・ そもそも論として 美とは何か。 これはまぁ一筋縄で説明できる代物ではなさそうだけど、 まず言えることは、 美とは人間界のローカル変数であって、 絶対的な美の概念など、世界には存在しない。 宇宙はいつだって無言で全てを受け入れる。 その上で、人間が感じる美の物差しの取っ掛かりとして、 「最適化された構造」 というのはどうだろうか。 街の木々を見ていて「カッコいい」と感じるのは、 ・バランスが取れている ・無駄がない ・ガッシリしている といった、高度に秩序だった個体に対して「美」を感じるような気がする。 そして、そういった"最適化された個体"というのは、 実はそれほど多くない。 多くの木々は、 バランスが良くなく、 スカスカだったり、 詰め込みすぎていたり、 要するに無駄が多い。 その中で、たまに出現する最適化に特化した個体は、とりわけ輝いて見える。 そしてだ。 植物だけでなく、広く生物界にもそうした特殊な個体は一定の割合で存在する。 ・異様に効率の良い巣を作る個体 ・無駄な動きをしない狩りをする個体 ・環境に対する適応がやたら洗練されている個体 つまり集団平均よりも少し"やり過ぎる"個体。 そしてもちろん、人間界にもそうした個体は一定数出現する。 しかし、人間界は自然界とは違って 社会にセーフティネットが張り...