妄想を楽しもう!
というわけで日々瞬間瞬間を「快」の感情で満たしていこう、それが世界と自分のWin-Winな関係だ。
と思うわけなのでございます。
自分の心持ちが愉快であれば、もちろん自分は楽しいわけだし、楽しい気分はストレスホルモンであるところのコルチゾールを減少させ、代わりにドーパミンやアドレナリン、アセチルコリン、セロトニンやオキシトシンなどの快楽物質を分泌させる。
それにより身体は整い、快調バリバリになるのは至極当然のこととして、その波長は自分の身体だけには留まらず、体外にも滲み出し、触れる人、あるいは環境などにも微細に作用してほんの少し世界が愉快になる。
そしてそれがまた巡り巡って自分へと返ってくる永久機関。
つまりまず何が大事かと言うと、世界に対する不満を口にするのではなく、自分が愉快になること。
そこから全ては始まるのだ。
外をどうこうすのではない。
自分から変わるのだ。
起点はゼロポイント。
というわけでだ。
いかにして「快」を作り出すか。
その方法はあまたあるものの、私がよくやる資源ゼロでできる愉快製造法。それが「妄想」
これは、私が心不全の手術をしたあとのことなのだが、手術の後遺症で身体と精神が極度に疲労していたことが作用したのか、夢と現実の境界がわからなくなるという特異な状態を経験したことに端を発する。
さっきあったことが夢の中の出来事だったのか、はたまた現実の出来事だったのかの区別がどうしてもつかなくなってしまったのだ。
どんなに考えてもどっちだったかわからない。
脳みそというのは面白いもので、ほんの少しの配線の狂いで夢と現実がわからなくなるのだ。
ということはだ。
逆に考えると「夢と現実に果たして違いはあるのだろうか」という考えにも至ってくるのでありますよ。それは必然的に。
ほんのちょっとの配線の違いで、どちらかわからなくなるのであれば、脳みそにとってはどちらで起こったことも現象として変わらないのではないか。
現実ではなく、脳内で起こったことでも、ドーパミンやアドレナリンなどの物質は実際分泌されるのだ。
つまり脳や身体にとって、現実だろうと妄想だろうと経験したことに変わりはないのだ。
ということは、例え夢だろうが妄想だろうが、楽しい経験をすれば脳は等しく「快」を感じるわけで、それこそが重要なのであれば、良い夢を見て起きたあとに「なんだよ夢かー、ちぇ」などと落胆する必要は全くなくて「あー良い夢見た、ドーパミン丸儲けだぜヒャハー!」で良いのである。
しかし事を夢に任せてしまうと、良い夢というのはなかなか見ようと思って見れるものではなく、時には悪夢なども襲ってくる両刃の剣。
対して「妄想(白日夢)」であれば、まさに意のままである。
誰でもできる明晰夢。
これを利用しない手はないでしょう。
となるわけであるユーオーライ?
そんなわけで「今日はいまいち気分が停滞しとるなー」などという時は、事前に作っておいた「妄想を楽しもう」ファイルを開き、今日の日付とともに、思いつくままやりたい快楽を書き殴るのである。
少々憚(はばか)られるような快楽であっても全く問題はない。
むしろそれをこそ脳は求めている。
重要なのは「それを実現させたい」とか引き寄せの法則じみた思考はNGということ。
大切なのは妄想している今を楽しむこと。
精一杯快楽を貪りドーパミンを放出する。
それこそが世界平和。
その先にプーチンの笑顔がある!
.png)
コメント
コメントを投稿